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2018年4月11日 (水)

は老中筆頭の松


 水野忠邦は幕政改革を夢みていた。唐津《からつ》から浜松《はままつ》へ国替えを願ったのもそれだし、要路へも執拗《しつよう》に贈賄《ぞうわい》をくり返してまず寺社奉行の地位を手に入れた。受取る側は将来彼が追い落すつもりでいる将軍|家斉《いえなり》の側近政治家たちである。
 一旦《いつたん》京都所司代へ転出したあと、数年で江戸に戻り、西丸老中になった。
 龍円が喋《しやべ》った鼠小僧《ねずみこぞう》の件は、本丸老中入りを狙《ねら》う水野忠邦の立場を考えると、当事者だけに新吉にはいちいちうなずけるものがあった。巨盗|淀屋《よどや》辰五郎と忠邦はどこかで結ばれていて、その大きな暗黒勢力を手足に使っているに違いない。小判を市中の貧民にばら撒《ま》いて、義賊鼠小僧の虚名を作り出したことなどは、恐らく淀辰の知恵なのだろう。だからこそ彼の組織に属さない稲荷《いなり》の新吉などという、腕の立つ一匹狼《いつぴきおおかみ》が必要だったのだ。
 ところが、江戸城の奥深くに情報源を持つ龍円の話は、更に政治の裏側に立ち入って来た。大坂の大塩平八郎の騒動は、既存勢力のやり方をとがめるために水野一派が画策したことではないかというのだ。それかあらぬか、大塩挙兵が天保八年二月の十九日。翌三月の二十七日には、幕閣でも大きな力を占める勝手掛老中の役を水野忠邦が受けている。おまけに翌る天保九年三月十日|払暁《ふつぎよう》には、家斉の住む江戸城西の丸の台所から火が発し、書院番所のひとつを残して全焼してしまった。
 その時の水野忠邦の働きぶり、素早さは目をみはるものだったという。小姓三人をひきつれ出火直後に登城し、本丸類焼を見事にくいとめた。家斉はその果敢な働きを賞し、すぐに西の丸|普請《ふしん》総奉行に任じた。
「まるで火の出るのを知ってたみてえなもんだった……」
 龍円は意味ありげに含み笑いをしてそう言った。
「普請の手配なんざ、太閤《たいこう》の一夜城もかくやといったあんばいでよ。ことしの三月にはその手柄で一万石の加増だ」
 龍円の裏ばなしだと、そこにも次郎吉に似た蔭の犠牲者がいる。失火責任を問われた西の丸台所人久助が、新吉の時と同じように、ろくな調べもないまま八丈島《はちじようじま》へ流されている。
「世直しを考えてるったって、そりゃ上つ方のことだけさ。つまりは長い間甘い汁《しる》を吸いつづけている奴らが憎いだけさ。そいつらを追い出しててめえがその甘い汁にありつこうっていう、ただそれだけのことでしかねえ」
 龍円はそう言い、更《さら》に物騒な予言をした。
「みててみろ、その内|誰《だれ》かえれえ奴が殺《や》られるだろうぜ。たとえば、今いちばん水野が死んでもらいたがってるのは老中筆頭の松平|和泉守《いずみのかみ》さ。そうすりゃあ水野の望みは全部|叶《かな》えられる。天保五年に起きた仙石騒動じゃ、神谷|転《うたた》という仙石家の家来を見事な善玉に仕立てあげ、その裁きにひっかけて老中松平康任、勘定奉行曾我|豊後守《ぶんごのかみ》、町奉行筒井|伊賀守《いがのかみ》

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なんていう邪魔者を、片っぱしから始末しちまった凄腕《すごうで》の殿様だ。それが近頃急に可愛がりだした連中てえのが、表火之番組頭の石川疇之丞……こいつは西の丸の火つけ役らしいから話は判るとして、典薬頭の今大路|右近《うこん》てのはどうも解《げ》せねえじゃねえか。ええ……。老中が病気ともなるとお城の医者が看るわけだが、その御医師連中をたばねてるのは、小普請組頭の川路|聖謨《としあきら》だ。その川路も近頃水野に急に目をかけられた筆頭じゃねえか。こいつは何か起るにちげえねえ……そういうのが専《もつぱ》らの噂《うわさ》だ」

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